二人のはんこ職人、出会いから今日まで
永田 皐月は昭和54年春、岐阜市内の高校を卒業すると同時に東京・虎ノ門の老舗印鑑店 「三田印房」 に入社、はんこ彫刻修業を開始しました。
3食付の住み込みでしたが、月給はわずか5千円。
その2年後の昭和56年春、小林 董洋は高校卒業後、同じ東京・虎ノ門、しかも永田 皐月が当時修業中だった三田印房から100mと離れていない、今では伝説の名店 「長澤印店」 に入社しました。
当時「三田印房」 と 「長澤印店」 とは、近隣のライバル店として互いにしのぎを削りあっており、本来なら彼ら二人の間に接点は生まれないはずでした。
翌昭和57年(1982)1月、虎ノ門の中華料理店にて開催された同業者組合の港支部新年会に、いずれも老齢の店主のお供として付き添う形で参加した二人は、店主たちとは別の小部屋で飲食を共にすることになりました。
この偶然がもたらした初対面の互いの印象を、後に二人はこう語っています。
永田 皐月「小林さんは口数は少ないけれど、真面目で誠実そうな人だ」
小林 董洋「永田さんはよく飲みよく話しよく笑う、明るくて楽しい人だ」
ほんのひと時の歓談でしたが、はんこ職人として修業中の二人は意気投合し、今後のさらなる精進を誓い合って別れました。
それから2ヶ月後の3月、小林 董洋の父・吉重師が突然の病に倒れます。
一刻も早い印鑑彫刻技術習得の必要性に迫られた彼は「長澤印店」 を退社し、彫刻技術を集中して学ぶため、大阪の印鑑彫刻専門会社へ転職します。
一方の永田 皐月はその2年後に 「三田印房」 を修業満了で退社、生まれ故郷の岐阜に戻り、父親とともに家業の印鑑店を切り盛りする日々が続きました。
こうして二人は互いの存在すらすっかり忘れ、彼らの接点も消えたかに見えました。
時は流れて平成15年(2003)秋、毎年9月に東京で開催されるはんこ業界最大の展示会を訪れた永田 皐月と小林 董洋は、ここでも偶然、実に21年ぶりの再会を果たします。
その日、他に予定がなかった二人は、どちらからともなく誘い合って青春の地、東京・虎ノ門へ向かいます。
永田 皐月が修業に励んだ 「三田印房」 は健在ですが、小林 董洋がいっとき在籍した 「長澤印店」 は残念ながらすでに廃業していました。
その後、初対面のときと同じ中華料理店で再会を喜び合い、ひとしきり互いの修業時代の思い出話に花を咲かせた後、永田 皐月がおもむろに、こう切り出しました。
「ところで最近、仕事のほうはどう?」
小林 董洋は答えます。
「ほとんどの注文が “早く、早く” ばかりで、じっくりと腰を落ち着けて取り組むような注文には、なかなか出会えない」
永田 皐月はわが意を得たりと強くうなずきました。
「東京の小林さんのところでもやはりそうか。
俺たちもプロだから “一刻も早く” と頼まれればできる範囲内で引き受けるけれど、やはり限られた時間では技術を思うように発揮する仕事ができないね」
小林 董洋が続けます。
「技術と感性を磨いて、自分にしかできない、個性溢れる、美しい印鑑を彫りたい。
“こんな印鑑もあったのか” とお客様に喜んでいただきたい」
これを聞いた永田 皐月は衝撃を受けました。
なぜなら、彼がここ数年うっすらと胸に抱いていた理想や願望が、まさに今、目の前ではっきりと具体的に語られたからです。
永田 皐月が返すべき言葉はひとつしかありませんでした。
「驚いた。実はまったく同じことを考えていた。
世の中にたった1本しかない、自分だけの個性的で美しい印鑑を欲しいと思っているお客様は、全国にはきっとたくさんいるはず。
私たちだけのオリジナル書体での印鑑製作、挑戦してみようか?」
小林 董洋が満面の笑みをたたえて応えます。
「難しいかもしれないけど、やってみましょう!
なんだか急に仕事に張り合いが出て、楽しくなってきたな」
永田 皐月の顔色も、酒のせいだけでなく紅潮してきました。
「今や似たような印鑑があちこちに氾濫している。 “この世に1本、他にはない印鑑”は、その権利や財産を守ることで、お客様の安心にもつながる。決して簡単ではないけれど、楽しみながら取り組んでみよう!」
それから2年の試行錯誤を経て、平成17年(2005)も終わろうとするころ、永田 皐月は流印体、小林 董洋は密印体をそれぞれ発表し、早速全国各地から多くの注文を受けました。
自信を深めた二人はその後も独自書体の研究・開発を続け、3年後の平成21年(2009)春、合計4種類の新たな書体の発表に至ります。
思えば二人が出会った日から、27年の月日が経過していました。
こうして彼ら二人の印鑑職人の手による6種のオリジナル書体が世に出てから、早くもさらに10年以上の歳月が流れました。
その間、永田 皐月はその技術と感性をさらに発展させ、なんとも不思議な独自書体を引っ提げて新たなはんこ通販ショップ【安心印鑑工房】に参加しました。
一方、小林 董洋は地元浅草で活躍するはんこ職人たちと【浅草はんこ名人会】を結成、今や美印工房で一二を争う人気書体となった吉印体で参加しています。
また、二人のコラボ―レーションはこの後も続き、昭和歴代首相印鑑の作風を再現した【昭和印鑑工房】、さらには驚くべきことに信長・秀吉・家康が愛用した印鑑を現代に蘇らせた【印鑑天下人】と、話題となる印鑑サイトを次々とオープンさせ、ますます活躍の幅を広げています。
そして、そんな彼ら二人の原点は、遠く昭和57年(1982)の東京・虎ノ門にありました。
お忙しい時間を割いてここまでお読みいただき、まことにありがとうございます。
彼ら二人のはんこ職人が手がける、彼らにしかできないオリジナル書体の印鑑に興味をお持ちいただきましたら、
ぜひとも引き続き下記ショールームにお立ち寄りいただきますよう、お願い申し上げます。